大阪では、20代の母親が育児放棄をした結果、二人の命がなくなった。現代の日本で、20代で結婚し、出産し、離婚した人が、疎遠な親や非正規の元夫を頼ることなく、二人の子どもを育てていくことは可能なのだろうか。・・・普通に考えて無理でしょ。新婚夫婦が二人でやっても大変なことを、一人で、働きながらなんてとても無理です。
家庭が、母親が子育てをするべきだという常識でもって負担と責任を押し付けている限り、再びこのような事件が起こるでしょう。
九州では、100歳以上の老人の存在を確認して、半分と出会えなかった。役所に死亡届を出さない限り、本人宛の年金は支払われ続ける。現代の日本で、100歳の老人がもらえる年金はいくらなのだろうか。親の年金をもらい続けるために、親の死を隠すなんて事があるのだろうか。・・・普通に考えてあるでしょ。
家庭が、子どもが親の面倒をみるべきだという常識でもって負担と責任を押し付けている限り、こういう事件は起こってしまいます。


大阪の母子家庭にまず必要だったのは、ときどきベビーシッターに預けてストレス解消できる程度の、風俗で働いて心を壊さずに済む程度の経済的な支援です。紆余曲折を経て子ども手当がスタートしたけど、女性の平均年収が300万もないことを考えると、あの程度じゃぜんぜん足りないでしょう。一方で、100歳の老人がもらえる年金は子ども手当の5倍じゃ済まないです。
十分な給付と保護がないことで幼い命が犠牲になり、十分すぎる給付で死んだはずの人間が記録上だけ生き続ける。高齢化による医療費の増額分は削減しようともせず、子ども手当を増額しようとすると「財源は?」の大合唱が始まる。
国のお金の使い方として、社会のあり方として、これは正しい姿なのだろうか。僕にはちょっとわからないけど、少なくとも積極的に結婚して子どもを生もうと思える社会じゃないことだけは間違いないです。