ゆるぎないものひとつ

何かを決めるためには、当たり前ですがその周辺の情報を集める必要があります。その集めた情報から決断を下すために、あらゆる角度から検討をすると、意外と決断ができなかったりします。
例えば、次に住む国を決める際に、僕はこれだけの情報を集めました。比較するべき項目はたくさんあります。でもこの情報を総合して評価することに意味があるとは思えません。気候の温暖さとビールのおいしさを直接比べることに意味あると思いますか?こういうものを、大量の情報をもとに総合評価してもしょうがないんですよ。それよりも、重視するものを一つだけ決めることが大事になってきます。
僕の場合は、「実際に仕事ができるか」を一番に考えました。要は就職ができるか、できたとしてやっていけるか、ですね。その一点で持って比べた結果、シンガポールか香港ということになりました。より高い給料やエンターテイメントに関する要素は、一度海外で働いて英語ができるようになってから求めればいいかな、と。実際にこっちで働いてみた現在の観点で次の国(職場)を考えると、「リラックスした生活ができること」が第一の条件になります。給料とかそれなりでいいです。別に安定してなくてもいいです。でも忙しい生活やストレスの多い職場はいやです。
こういう考え方をしていくと、他の人とは違った生き方をすることになりがちです。当たり前だけど、一番大事なことなんて人によって違うからです。でもそれでいいんだと思います。もっと多くの人が、“今の自分にとって”一番大事なものを見つけて、世間の目や同調圧力を気にせずに好きなように生きていければいいと思っています。
そしてそういう社会こそが、豊かな社会なのでしょう。某国の首都の知事は国中で滅私のもと連帯する強い国を求めてるみたいですが、そんな社会は全員が片方のサイドに固まるサッカーチームと一緒で逆サイドからあっさりとやられます。
一つになる必要なんてありません。日本も多様性を認める豊かな社会になるといいですね。