ぼくは武道家、あるいはそれ以外の何か

サークルの後輩のこの記事に反応。正直、俺は強くなるより上手くなりたい、技術を磨くのは好きだけど筋トレは嫌いという方向性なので、格闘技に関しては特に言うことはないです。彼の格闘スタイルや練習からも言ってることはよくわかるし、物凄く納得できます。ということで、彼の格闘技に対する取り組み方に異を唱えているわけではない、ということは最初に明記しておきましょう。
ただなぁ。俺にとって“戦う”って事はもっと広い意味なんですわ。ギャンブル性のあるなしに関わらずに遊ぶことから、勉強、就職、その先に待っている仕事、さらにはこの世の中で死なないように何とか生きていくことまで。で、そこまで抽象化してしまったら、他者に評価される結果にどれだけの意味があるんですかね? 自分の挑戦の価値は結局のところ自分にしか測れないものなのでは。そもそも、俺は誰かに評価して欲しくて格闘技やってきたわけじゃないし*1。この考えを突き詰めていくと、勝つためには綺麗に死ぬしかないのかなぁ、みたいな最悪の鬱思考になってしまいますがw


戦うという行為そのものに価値があるんだ、ぼくは思った。
他人から見たら悪あがきでしかなくても、挑戦することは無駄はないのだろうか? そりゃあ、他人にとってはそうかもしれない。だけど、ぼくにとってそれが無駄かどうかはぼくが決めることだ。他人が口を出したり、評価したりするものではない。多分これは子供の理論なのだろうけど。
子供はみんな、強くなることを夢見る。子供はみんな、自分の可能性を信じる。強さを、賢さを、あるいは絵や音楽の上手さを求めて、自分の価値を賭けて戦い続ける。それを辞めたものが大人になるのだ。諦めて、安定にすがり、自分を偽り、戦うことをやめて大人の理論を振りかざし、まだ戦っているものよりも偉くなったつもりでいる。ぼくは、そんな大人にはなりたくない。
ぼくは信じたいんだ。自分の可能性と価値を。ぼくという人間に、人並み以上の価値があるのだということを。そのための戦いをやめようとは思わない。“いい大人”はぼくを笑うかもしれない。それでも、ぼくは挑戦を続けようと思う。もう少し、今より上を目指して。
このもう少しの積み重ねこそが、ぼくの足跡になるのだから。



あー、今現在ものすごーく酔ってるので、起きたら絶対に改変します。

*1:他者の評価を求めるなら他の競技します