昨日のうちに気づきたかった・・・

ふと思ったけど、米澤穂信の一人称の使い方って谷川流のそれと似てるな。ここを取っ掛かりにしていろいろ考えてるうちに、谷川流米澤穂信の共通点が見えてきたような・・・
省エネをモットーにする折木も小市民を目指す小鳩も、傍観者を志すキョンの態度と本質的には同じです。やる気なさげな一人称は普通でいることを望むのに、周囲の人間、というかヒロインに振り回されて普通じゃない状況になってる、というのも共通してます。そこから日常ミステリになるかSF的な世界構築の話になるかで印象はずいぶん違うけど、両者の書くものにはかなりの類似性があるような気がします。
そう考えると、「愚者のエンドロール」で奉太郎が突きつけられた”選択”は、最近のハルヒシリーズで描写されてるキョンの”選択”と同じ意味をもつのでしょうね。
主人公の視点を通して他のキャラを立てる手法や文章自体も似てるような気もしますが、それを検証するにはハルヒを読み返す必要があるので今日はやりません。
・・・昨日のうちにこれに気がついていたら、萌え萌え言うだけの芸のない感想を書かなくても済んだのになぁ(;´Д`)