電波男

一晩たって気になることが二つ出来たので書く。以下の文章で使われる「萌え」は「脳内恋愛」という電波男の定義を用いてます。
まずは、メディアの特性について。萌えの定義である「脳内」「妄想」「仮想現実」といったものを突き詰めて行けば、最終的には全てを脳内で想像する小説に収束するような気がするのですが、どうでしょう。ゲームのインタラクティブ性は経験がないのでわかりかねますが、2次元の絵や連続映像も理想の脳内彼女を創造する上でむしろ余計な先入観になるような。小説に視覚情報を加えるために漫画が、映像が、ゲームが出来た、みたいな論調ですが、その過程で真の萌えからはむしろ遠ざかっているのではないでしょうか。
眠くなったのにもうひとつは明日書く。