昨日の続き。 この本では恋愛資本主義で金を使わせるために恋愛こそが至上であると洗脳するための作品をあっち側、その対抗策としての萌えによる脳内恋愛の燃料となる作品をこっち側、と定義してるのですが恋愛物語を伝えるツールとしてみたら両者は同じ集合…
カクコトナイ。一年前に勉強した(数理)論理学の基礎をかなり忘れててショックを受けた。そんな感じ。
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